4 モナリザって何?

モナリザは、世界一有名な 絵画です。
どんな人に聞いても、モナリザを見たことも 聞いたこともないという人は少ないですよね。
そのくらい世界中の人間が知る名画です。
しかしながら、
その世界一の有名な絵は本当に 世界一 美しいのでしょうか?
世界一 描くのが難しいのでしょうか?
世界一 美しい女性が描かれているの でしょうか?
または、
レオナルドが 何か秘密めいたことを ここに埋め込んでいるのでしょうか?


先生の個人的な 感想ですが、

モナリザ?
え?俺の方がうまいだろ?と思っていたことがあります。
モナリザ?うちの奥さんの方が美しいだろ?
って思っていたことがあります。
モナリザ?え?隠された謎なんて言ってるけど実は
何にも考えていないんだろ?
って思っていたことがあります。

先生の感想を聞くとずいぶん思い上がった人(先生)だなと思う人と
そうだよねっと共感する人がいると思います。

なぜなら教科書や資料集に載っているレオナルドの記述や、
作品を見てさすが、世界一の名画は違うよ
やっぱり すげえや レオナルド天才じゃんって思った人どのくらいいるのでしょうか?
別にモナリザをディスっている訳ではありません。モナリザに関する知識が増えれば素晴らしいと思うようになるのでしょうか?
本物を見れば、素晴らしいと感じるのでしょうか?
先生はフランスルーブル美術館に展示されている本物のモナリザを
見たことあります。でも
「すげえなレオナルド」とは正直思いませんでした。
たくさんの絵を理解している人なら 見ただけですごい と思うかもしれません。単純に絵の理解がないだけかもしれません。
先生は学生の頃、モナリザの本を何十冊も読んだことあります。
レオナルドの解説本も、画集もたくさん読みました。
それでも、見ただけですごい絵だというふうには説明できません。モナ・リザに関わる様々なエピソードや成り立ちを理解しないと、本当のよさは理解できないと思います。

私は美術の先生なのでモナリザのよさを説明することはできます。モナリザについていろいろゴチャゴチャ話せますが、その前に
要約すると レオナルドは群を抜いてリアルな絵を描いていた

という所が一番大きなところです。レオナルドが生活していた当時は宗教画というと、リアルな絵ではなく、しるしやシンボルのような絵ばかりが描かれていました。教会に飾られる絵は、リアルであるかどうかではなく、キリスト教絵画や装飾写本が中心であり、形式が決められていました。人物は平面的で、のっぺり無表情な顔つきをしていてみな同じ彫像のようです。また、空間や背景が描かれることは少なく、描かれたとしても、建物は平面的で、人物は宙に浮いたような状態です。それに比べると、レオナルドの作品のリアルさは群を抜いています。今では、空気遠近法も、透視図法も、影のリアルさや質感も普通かもしれませんが、当時は画期的だったのです。

いつも、思うのですが、赤ちゃんの顔がとてもブサイクで、かわいいとは思えず、おっさん顔の赤ちゃんだとしても、かわいくなさすぎると思うのは私だけでしょうか?

当時の貴重な青色や金色を使っていることを考えると、とても貴重だと思いますが、やっぱり、、、

こんなの 落ちてても 拾わないな。ゴメン。美術教師としてはあるまじき発言ですが、ウソついてもしょうがない。

モナリザがなぜ これほどまで有名になったのでしょうか?

それは、 モナリザ盗難事件 をきっかけにしています。

 これは、教科書や資料集には絶対に表記されないことです。モナ・リザはどの教科書を読んでも、当時のルネッサンス期に、遠近法を使ってリアルに描いたから素晴らしいとか、宗教画的な(しるしの様な)描き方から、人間らしい素晴らしさを表現したからすごいなどと解説されています。しかし、素晴らしく美しい絵を描いたというだけ、素晴らしく巧みな絵をかいただけで、世界一有名という状況までいくでしょうか?超絶天才のレオナルドが描いたから有名だという要素はとても大きいですが、それにしても、、、

『モナ・リザ』は1911年の盗難事件に遭うまではレオナルドの最高傑作と言われるほどの作品ではありませんでした。一気に有名にしたのは『モナ・リザ』盗難によるマルケス・バルフィェルノによる世界が驚愕する贋作詐欺事件が世界に公表されてからです。そそのかされて盗難をしてしまったペルージャとその盗難中に起きた贋作の連続詐欺の手口に驚き、『モナ・リザ』を一挙に有名にしました。それは、「モナリザ」を盗んでおいて、その間モナリザの贋作を5つ 制作し、5人の好事家(こうずか:ここではお金持ちの玄人の意味)にそれぞれ真作だと言って売りつける、という手口の詐欺でした。これはとても頭の良いやり方で、ルーブルの「モナリザ」が出て来ない限り、好事家はこれが真作だと言われれば(贋作の出来が良ければ)、そうに違いないと信じてしまう状況が作られているからです。 

6枚の贋作(偽物)を用意し、一枚10億円で、5枚売れたので、50憶円相当を荒稼ぎしました。イブ・ショドロンという人物が天才的な贋作を作りました。

モナリザがなくなった時、誰も盗んだとは疑わず、メンテナンスに出してるんだろ?っと思われていた。その後、2年ほど行方不明となる。

ペルージャ

コソ泥。ガラス職人?額職人?だったが、モナ・リザを盗んだ実行犯で有名に。イタリアにモナリザを持ち帰った英雄?と言われたこともある。

マルケス バルフィエルノ

真の黒幕。ペルージャを操って大儲け。偽物を売ることによって50億円もうけましたが、その他にもあんな手こんな手も使って儲けちゃったーという話がキリなくあります。(もちろん詐欺の手口)

現在のモナ・リザは防弾ガラスに守られていて、いつもひとだかりができています。遠くから眺める形になりますが、、、これを見て本物のよさを実感できる、、、かなぁ。

盗難が発覚したのは、休館明けの1911年8月22日のことでした。
モナ・リザが展示されていたルーヴル美術館の壁にはぽっかり空白ができていて、残されていたのは額を固定していた4本のクギのみです。フランス警察はすぐに国境を閉鎖しました。大掛かりな捜索が行われ、あのピカソ(アポリネールなども)までもが疑いをかけられ警察署で事情聴取をされたほどです。

現在の価値にして約6億5,000万円の懸賞金にもかかわらず、有力な手掛かりが得られぬまま2年が過ぎました。ルーヴル美術館館長は辞職に追い込まれ、「フランス警察は何をやっているんだ」と非難ごうごうだったそうです。 

モナ・リザが発見されたのは、誰もが悲観的になり始めていた1913年12月のことです。場所はレオナルド・ダ・ヴィンチの母国イタリアでした。盗難絵画購入の話を持ち掛けられたフィレンツェの画廊からの通報で、地元警察が駆け付けたホテルでモナ・リザは無事保護されました。警察は、絵画とともに宿泊していたルーヴル美術館で保護ガラスの設置に携わった職人ペルージャを逮捕しました。

ペルージャは盗んだ後2年間、パリの自宅の屋根裏に隠し持っていましたが、待てど暮らせど、マルケスバルフィエルノと連絡が取れず、どうにもお金に困っていたそうです。本物のモナ・リザを売ろうとするものの、

「お前みたいな貧乏人がモナリザを持ってる訳ないだろ?」と、売ろうとしても、信じてもらえなかったとかなんとか、、

ペルージャは、「ダ・ヴィンチの祖国であるイタリアにモナ・リザを帰還させるべきだと考え、愛国心から犯行に踏み切った」と主張しました。
どうせ金銭目的だったのだろうというのがフランスでの大半の見解でした。

が、なんと、イタリアではモナリザを帰還させた英雄と評価、世界を騒がせた大泥棒にもかかわらず、たった6ヶ月の禁固刑と減刑されました。


普通、ウソをつくものは、その報いを受けます。盗みを働く者もまた同様です。
その時だけは切り抜けても、長い人生ではその報いを受けて、「やっぱり悪いことはできないものだなぁ」と悟るのが普通の人の人生です。
しかしながら、モナリザを盗ませたマルケスバルフィルノは、この盗難事件で逮捕されることもなく完全犯罪を成し遂げ、死ぬ間際に手記を残したと言われています。この手記が、

モナリザを盗ませてどのように儲けたか?どのように騙すことができたのか?

が丁寧に書かれていたそうです。

マルケスは自分がもう死んでしまうことが分かっていたので、友人である新聞記者に、自分がモナ・リザ盗難事件の黒幕であることも、事件のいきさつも伝えており、「俺が死んだらこの完全犯罪を世間に発表してくれよ。お前の大スクープになるぜ。じゃあよろしくな。」と言い残して死んでいったそうです。

その後、世界が仰天することによって、モナ・リザが世界一有名な絵画にのし上がっていきます。

モナリザが有名になる前の世界三大名画

今では ほとんど 三大名画という言い方 はしないです。三大名画は何?と言われて、すぐに思いつく人はなかなかいません。モナリザがあまりにも有名になりすぎて、この三大名画の印象が薄くなってしまったとも言えます。モナ・リザを有名にした ある事件とは なんなのでしょうか?、、、モナ・リザ盗難事件です。

夜警(オランダ語:De Nachtwacht)は、オランダの17世紀の画家レンブラント・ファン・レインによる絵画作品の通称。より適切な題名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』現在はアムステルダムの国立美術館に展示 この作品によって、レンブラントは有名になった。3.63m×4.37m

『ラス・メニーナス』(スペイン語で「女官たち」の意)は、1656年にスペイン黄金世紀をリードした画家ディエゴ・ベラスケスにより制作された。ベラスケスの代表作ともいえる大きな作品。3.18m × 2.76m

『オルガス伯の埋葬』は、スペインルネサンス期のギリシャ人画家のエル・グレコが1586年から1588年にかけて描いた絵画。トレドのサント・トメ教会の所蔵で、グレコの最高傑作と言われている。4.6m×3.6m

モナリザの眉毛(修復家の仕事?)
『モナ・リザ』に描かれている女性には眉毛が書かれていないことがよく指摘され、眉毛は修復の際に消えてしまったという説や、ダヴィンチは元から眉毛を描 いておらず、それゆえに絵が未完成であるという主張などが論じられてきた。しかし2007年にフランスの技術者、パスカル・コットによる高解像度カメラの分析によって眉の跡が確認された。コットは、モナリザの目の周囲に亀裂があることから、修復やクリーニングの際に眉毛やまつげを一緒に拭き取ってしまったと推測している。

モナリザの保険金は50億円(絵の価値は1000~2500億円?)
ギネスブックはこの絵を最も多額の保険がかけられた絵画として登録しています。『モナ・リザ』がフランスから持ち出されたのは2度のみで、そのうち日本、ロシアと巡回展示された際には、50億円の盗難保険がかけられました。

だいたい本物の 2%くらい の保険金をかけますので、


本物の価値×0.02=50億円の保険金額


のハズなので、50億円÷0.02=2500憶円くらいの価値と計算できます。

何度でも出てくるもう一つのモナ・リザ

2005年3月26日に日本テレビで放送された『ビートたけしのモナ・リザはもう一枚あった!』において、スイ ス・ジュネーヴの地下金庫に眠っていたもう一枚の『モナ・リザ』が初公開された。そのもう一枚の『モナ・ リザ』はx線写真監査でレオナルドの時代に描かれたことが判明し、現在さらに詳しい調査が行われている。ローザンヌのモナリザ(番組だとアイルワース版モナリザ)こんな話は毎年のようにある。1960年代に発見されたもので、すでに鑑定されている。もちろん複製画。

新聞記事の一例。こんなんが10年に1度くらいは載っている。みんなが忘れた頃にやってくる典型

内容はほぼ一緒。同じような内容だが、アイルワース版モナ・リザが一番頻出。

アイルワース版

ポーズは同じだが、背景などが全然違う。

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